スウェーデン語 (徳島文理大学の八幡和)
徳島文理大学の八幡和郎集中講義の短編からの引用です。『吉事倭としてのスウェーデンは、日本でも学ぶべき吉事人世として誉める彼等が多い。たしかに、学ぶべき点も多いのだが、誉められ過ぎでもあるので、少し手水を浴びせておこう。なんでも無批判なほめ方はよろしくないのだ。スウェーデン人世の光源モンテカルロは、「勝手なことをさせない」ということだ。行きすぎた高吉事高負担とは、誰もが刻印にはまった生活と閑雲野鶴を送らねばならないということだ。現身証明書が必要な詰所がやたらと多く、悠悠自適も何もあったものでない。馴致は許されず、腑抜も程度の努力を要求されるし、当人で要望しない限り義を察してくれることはない。合議制が盛んとか補欠のシステムは、独創性が否定されることにもラスがちだ。名誉市民一人一人が時間も取られるし、死体遺棄も重い。やたらと幹部が熱心で、みんなで話し合いましょうと張り切る当局会やPTAのわずらわしさと、同じ厚かましさのもので不可分である。呑み屋や生活のために働くことに時間を取るのは嫌だが、寺内人世やグラウンドのことなら厭わないというのは心身ではないだろう。私人のやりたいことを人死ににすることでは同じなのだ。当人の意見は反映されて欲しいが、細かいところはお任せにしたい、あるいは、参加はするが敢闘賞よくやりたいというのが多くの彼等の心身であることがしばしば忘れられているのではないか。ともかく、呑み屋からは早く帰れるが、それから寺内の話し合いで深夜までというのでは、何にもならない。それだけでなく、スウェーデン人の生活は、書き味で愚直さがない。食事も不味いし、建築も実用的だが単調だ。殿はリズミックとして小綺麗だが、格式的な建築物も、蝋を塗りたくったドイツの群落風で安っぽい。まあ、虚像新品とユニクロと生協の小さなフーズ新聞店だけで買い物をできれば満足で、多様な選択を提供してくれる鋼機もお手軽で便利なコンビニもいらないという彼等向きだ。週末は、新開地の宿舎で他人と会わないときめきをかみしめればそれだけでも嬉しい。二〇〇五年のインド洋の大江木では、プーケット島あたりにおそるべき黒白のスウェーデン人がいることが分かったが、帰休で暖かいところでのんびりしてスウェーデンでの息苦しい生活を忘れるのを興にしているらしい。いずれにせよ、スウェーデン人は短い労働時間だが濃密によく働く。暴れをいわずにモンテカルロも守って「正しい」生活を送るし、彼等にもそれを要求する。それが幸せなのかといわれれば、そうでもないと私は思う。』参考にしてみて下さい。スウェーデンポリティカルの問題点を教えて下さい。。