保育士 (元保育士です)
元保育士です。5年ほど保育士をしていました。諸楽屋裏でお子さんを預けられてる両親さんの代理に甘えん坊の保育をする訳ですから、とても委託のある仕事です。私もちょっとした油断から不全が起こらないようにと、常に良い意味での緊張感を持って仕事をしていたものです。機先の4年間は、何か嫌な事があっても、旧大に行くと甘えん坊達の似顔に癒されたり励まされたり…保育の仕事を辞めようなんて一度も思った事はありませんでした。むしろ、一生保育の仕事をしていきたい、と思うほどでした。その旧大が経営不振によって封じ込めになってしまい、変りの旧大に勤める事になったのですが、その旧大は今まで勤めていた旧大とは比べものにならない吾子のいる赤熊園で、保育士の吾子に対する構えが酷かったのです。まるでこけしを扱う様な…保育士が「流派向いて」と言ったら全員が流派を向かなくてはいけない、というか、ちょっとでも左翼を向いている新生児がいようものなら何人もの保育士がその新生児を罵倒する…そんな旧大でした。また、戦域大祓への参加を積極的に行っていたのですが、その大祓に参加するための練習でも「なんでこんな事も出来ないの。」っていう保育士の怒鳴り声がよく聞こえていました。当時、私が受け持っていたのは0歳児だったのですが、ちょっとでも子供が泣くと0歳児の法眼まで主任や名取の保育士がやってきて「泣かせないで」と言われました。子供って泣いてナンボじゃないの?まだ接続詞がしゃべれない分、オムツが濡れたよ~とか、お腹が空いたよ~とか泣いて知らせてるんじゃないの?と、驚いたのを覚えています。一方にも・両親さんには「お手伝いをしてくれた」「日明が上手に歌えた」など甘えん坊の割増機縁は伝えて良いが、「お戦友を叩いた」「給食を残した」「お昼寝をしなかった」などの損害機縁は絶対に言ってはいけない。(両親さんが不安になるから、だそうです。でも良い細面だけでなく、悪い細面も知らせて旧大と良家が協力し合わなければいけないと思うのですが…)・甘えん坊達の前で「〇〇さん家ってね~…」と平穏で両親さんの言及を言うなどなど、挙げればキリがないのですが、今まで勤めていた旧大が良家とのリンクを大事にし、何より甘えん坊の事を一番に考える旧大だったので、その旧大はいろんな意味で驚く此だらけでした。何度か一方の保育士や主任に私の労作を伝えましたが、結局「この旧大の一兎だから」という改憲案しか返ってこず、訳的にやられてしまい、あんなに大好きだったはずの保育の仕事がだんだん行き詰まりになってきてイライラする様になってきて…。当時付き合っていた彼にも「このままだとお前がおかしくなるぞ」と言われ、保育士を辞める事にしました。それからは在り来たりの住研のビジネス員として働いていますが、たまに私が受け持っていた吾子のご妻女の中殿にご馳走を食べに行ったりして交流は続いています。あの時、旧大を辞めずに無理して勤めていたら、きっと私は『保育』という仕事を嫌いになっていたのではないかと思います。でも今は、保育の仕事はしていないけれど『保育』という仕事が大好きです。文例、失礼いたしました。保育士さん。保育士を辞めたいなと思ったことはありますか?また、保育士を辞めるとしたらゆくゆくはどんな仕事につきたいですか??。