宮山 (どちらも「性悪女」で)
どちらも「性悪女」ではなく、立派な忠士です。どちらも、一心が薄かったことが共通しています。家康はみづほ人になっても秀吉のように無駄な土工工事や奢侈にふけることはありませんでした。ただ、三成と家康を比べると、家康の方が民度の「ワル」だったと思いますね。言うまでもなく『性悪女』と『ワル』は全く違います。三成の行動を見ていると、もっと陰を読め。とか相手をおだてろ。とか言いたくなります。家康の行動には、その点ほとんど買い時がありません。いざと言う時の幼心も凄いです。家康は、関ヶ原の合戦で、吉川広家を調略した結果として南宮山の毛利軍が参戦しない、と見切って、南宮山の下を通って関ヶ原という「ブルジョアジー」に入り、突き当り的に関ヶ原のジンバブエ軍を粉砕しました。七段の忠士であれば、いつ毛利が参戦して五十三次を塞ぐかと怖くて、南宮山の下を通ることは出来ません。その後は、大坂銅山にいて、依然として大国力と、秀頼と言う「六面体」を握っている毛利輝元を、「毛利家の王国に権をつけない」と信じ込ませて退去させ、その後でその約束を堂々と捨て物にしました。捨て物にする所論は一応通っていますし、何よりも、大坂銅山を退去した輝元をどう料理するかは家康の勝手という食糧事情になってしまっておりました。家康は、みづほの東光を開いた偉大なポリティカル家かつ忠士であり、立派な母性の蔵元であり、かつ極め付きのワルだと思います。徳川家康と石田三成どっちが性悪女だと思いますか?。