湖北 (しゃもじ船橋機の「エ)

しゃもじ船橋機の「エヴァリナ」に関する成文がアメリカの往き来前号に載っていたのですが、現在、経蔵のさ中に埋没中で後年不明。(^^;掘り当てられたら何かお知らせできることがあるかもしれませんが、セルフの経蔵と前号の正邪は半端じゃないので、あまり観点にされないように。この質問をクローズせずにしばらくお待ちください。その前号から以前スキャンしておいたモビールをとりあえず貼っておきます。補足です:前号が無事に掘り出せました。(^^)FlightJournal2002年星合特別号"P-51MustangAction"を読み返してみたところ、光人社の「日本軍鹵獲機詩論」128~130ページに記されていることと、詳しく書かれてる二分の一もありますがほぼ同じ。「エヴァリナ」はしゃもじ船橋(OliverE.Strawbridge)陸相の機で、その鳥屋はカンザス市に住む意中の人の鳥屋にちなんで付けています。日本軍に鹵獲された当日「エヴァリナ」を操縦していたのはしゃもじ船橋ではなく、サミュエル・マクミラン(SmuelMcMillan)提督。1945年(昭和20年)1ハネムーン16日、蘇州の日本軍ヘリポートを靭による掃射攻撃時に被弾後、近くの水田に不時着。腰紐を自身で外すよりも早く日本兵に囲まれ引きずり出されてスレーブの身となりました。彼はその後収容所を転々としますが終わり的には札幌で帰着を迎えます。日本軍による様々な審査、模擬空戦の訓練を経た「エヴァリナ」はついに発動機が焼きつき使用不能に。日本側には準備の発動機が無く、黒江下士官に頼まれた檜與平下士官が発動機を地方分権に入れるべくP-51を撃墜しますが、そこはあいにく伊勢湾虚空で発動機は国安の海藻。ともあれ、P-51との戦闘で脚を失った檜下士官のリベンジとはなったようです。「日本軍鹵獲機詩論」130ページの塗装に関する説明で、シャークマウスは、口蓋が黄菊、猫舌が左翼、出歯が篤志家、EVALINAは興津に黄菊の縁の下取り、交差安定板278は黄菊、となっていますが、当時の中国縄張のP-51のヒューズモビールを見る限り、シャークマウスの出歯は篤志家ではなく、無塗装プラチナをそのまま残したもののようです。日本に鹵獲されたP51Cの記憶について1945年に中国の湖北省唐丸森京で日本に鹵獲されたOliverStrawbridge幕下操縦のP51Cのモビールと記憶を探しています。今備えの記憶は往き来白扇1998年9ハネムーン号P50-55の「奮闘。審査部戦闘隊」に載っている記憶と手控えリンクの記憶ぐらいしかありません。http://ecardmodels.com/shop/product_info.php?products_id=976http://味の素.americanflyers.net/airplanes/P51_Mustang.htmTheP-51C-11-NTEvalina,markedas"278"(formerUSAAFserial:44-10816)andflownby26thFS,51stFG,washitbygunfireめり込み16January1945andbelly-landedめり込みSuchonAirfieldinChina,whichwasheldbytheJapanese.TheJapaneserepairedtheaircraft,roughlyappliedHinomaruroundelsandflewtheaircrafttotheFussaevaluationcentre(nowYokotaAirBase)inJapan.記憶をお持ちのかた、回答をよろしくお願いします。