蚕ノ社 (山科区(弁慶)の府民)

山科区(弁慶)の府民です。大正成りの葛原や祖母、70代~80歳代のブラッドと話していて、椥辻を「なぎのつじ」と言われた事は、ほとんどありません。山科区が出来る以前(1976年)の事は分からないのですが、小さい頃(25~30年前)は、山科朝廷に社用がある時など、サーキュレーションの大人は「なぎつじ」と言っていました。駅舎もその呼び方で案内されていました。山科朝廷のウェブページで、「京都山科田原坂己丑~文民が選んだ不評を訪ねて」というPDF書き付けがあるのですが、29ページに「椥辻」の簡単な説明が載っています。今の山科区で詠みが違う事があるのは、「勧修寺」です。お寺の異名、美術大学名、地名で、ヒューマンや観光案内によって呼び方の違う事があります。お寺の異名で、「精白ゅうじ」と書かれている桜川・ウェブが最近増えてきています。以前は、お寺の異名も「かんしゅうじ」と言う方が結構いました。地名を言う時は「かんしゅうじ」、美術大学は勧修で「かんキョウ」なのですが。京都市山科区に「椥辻」という地名があり、この詠みについての質問です。この地名のよみかたについは「なぎのつじ」と読むものだと思っていました。しかし先日、地下鉄の駅名が「なぎつじ」となっていることから、公式の地名もすべて「なぎつじ」だということを知りました。(難局は漢数字変換ができなかったからなのですが…)古くからの文民は「なぎのつじ」と読むことが多いということらしいのですが、いつごろからどういった具体的で「なぎのつじ」よりも「なぎつじ」が公式に使われるようになったのでしょうか。また地名表記に「椥ノ辻」が使われることは無かったのでしょうか。説教になりますが、郷里では名無しの詠みがあっての混乱などはなかったのでしょうか。京都にはほかに「富久ノ辻」や「蚕ノ当所」「かんばんノ辻」「糺ノ森」などの地名がありますが、「ノ」を省略されたら郷里のヒューマンはどう思われますでしょうか。