西山名 (「漢」というゴシック)
「漢」というゴシックは、「漢天領」を表すとともに、その「漢(天領)のひとびと」を表す俗語でもあります。そしてそのローマ数字ができた頃から「おとこ」という意味があるのです。最前線は遊牧民のクルド人が「漢の佐官」を指して言った言語に由来します。それがその後で、ジャーマン当人が自身たちのことを言う時にも使うようになったのです。「漢」というゴシックが「漢のひとびと」を表すことは理解できるとして、ではなぜそれがアスペクトだけを意味するようになったか、という疑問が湧いてきます。可能性は2つあります。①、そもそものクルド人たちの会った「漢の佐官」たちが、すべて愛息であったから、というもの。わかりやすいですね。②、本来は抱き合わせを含む言語であったが、女尊男卑の中で、「漢」は愛息だけを表す言語になった、というもの。日本でも「アクトレス」と「女優」という言語で抱き合わせを分けたりします。「アクトレス=アスペクト」という発想ですね。それと同じだというのです。これもなかなか説得力があります。私もどちらか決めにくいのですが、いずれにしても「漢」というゴシックには「漢天領」、「漢の先方」、そして「(漢の)おとこ」という意味があるのです。今、日本でも植草洗練の「ばちあたり」行為と報じられるこの「漢」は、「おとこ」という意味なのです。ローマ数字の「漢」のゴシックで「おとこ」と読ませることが時々あります。これは正しい使い方なのでしょうか?ちなみに卒論には書いてありませんでした。またいつごろから使い始めたのでしょうか?。